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伊那郡南山村文書

資料No(記号) 伊那〔4〕/4-32
説明(解題) 本目録に収録した伊那郡南山村文書は2010(平成22)年に上條信彦氏より寄託を受けた史資料群のうちの一部である。
 南山村は現在の泰阜村南部に当たる近世村である。天竜川とその支流万古川に沿っている。このうちこの文書群のほとんどは枝村田本村に関わるものである。1591(天正19)年伊那郡縄帳によれば、南山村は12ヶ村で構成されており田本村は47石余りであった。しかし1702(元禄15)年の村高では12ヶ村が1ヶ村扱いとなって南山村となった。村高566石である。
 南山村は江戸時代を通じて天領で榑木成村として重視された。代官は千村氏である。江戸時代中期以降は榑木が枯渇し金納化された。本文書群は明治期のものは田本の宮嶋氏にあてたものが多く、おそらく文書群はもとは宮嶋氏もしくはその周辺に伝来したものだろう。江戸時代後期は名主治左衛門あての年貢金の徴収台帳や金子請取証文、流質証文、売渡証文などが散見される。名主として在地金融をおこない、土地集積質地地主化していった様子がうかがえる。
 このほか近隣諸村との間でおこった分水や入会地をめぐる相論関係史料もある。山間地の生業にまつわる興味深い史料といえる。
 南山村および泰阜村の沿革は以下の通りである。
  1871年(明治4年)伊那県第十三区(左京村、鍬不取村、打澤村、高町村、稲伏戸村、          怒田村、南山村の七ヵ村)設置。
  1872年(明治5年)筑摩県第一六五区に編入。その後二十二大区に編入され、第一六          五区を第一小区に編入。
  1875年(明治8年)伊那郡南山村のほか16ヶ村が合併して泰阜村となる。
  1875(明治8)年 筑摩県伊那郡島田村・毛賀村が合併して松尾村となる。
  以後現在まで村名が継続する。
 なお本文書群のなかには滋賀県伊香郡関係文書が混入していることに留意されたい。

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