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筑摩郡瀬黒村文書

資料No(記号) 安筑〔5〕/5-43
説明(解題) 本目録に収録した筑摩郡瀬黒村文書は、2010(平成22)年に上條信彦氏より寄託を受けた史資料群のうちの一部である。
 瀬黒村は江戸時代当初には松本藩領に属していたが、元和3(1617)年から高島藩領となった。村高は慶長期に581石余りであった。瀬黒村は正保4(1647)年の検地で上・下各村に分立した。
 明暦3(1657)年に、内田・赤木の千石余の地を高島藩主諏訪忠晴が旗本の弟頼久に分知しこれが旗本諏訪氏百瀬陣屋領となった。当初は内田に代官所がおかれていたが、寛文11(1671)年赤木山の入会の山論が起ったので所領変更をし、内田・赤木の代りに、上・下瀬黒村、竹渕村、白川村と百瀬村の一部を知行所とし、ここに代官所がおかれるようになった。 
 陣屋代官は三井氏、享保初年ごろより、萩原氏・近藤氏が御用人格兼代官となり40石2人扶持を受けた。以後明治まで続いている。当史料群にも代官萩原氏あての訴状が含まれている。訴状には上・下瀬黒村ほか旗本領支配の諸村のなかで田川・牛伏川の取水問題で相論になっていたことが知られ、寛大なる仁政の施しを求めている。このほか幕末から明治にかけてまとまった年貢割付帳が残されている。
 明治維新後、旗本領百瀬代官所も廃された。 1874年(明治7年)上瀬黒村・下瀬黒村は近隣の赤木村、小池村、白川村、百瀬村、南百瀬村、白姫村、、竹渕村と合併し豊丘村となり、明治22年町村制施行に伴い寿村が発足している。現在の住所表記は松本市寿北に含まれる。

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