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下諏訪宿友之町文書

資料No(記号) 諏訪〔3〕/3-20
説明(解題) 本目録に収録した文書は、2010(平成22)年に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうちの一部である。
 本文書群は諏訪大社下社秋宮周辺に広がる下諏訪宿友之町に関係する史料である。中山道・甲州街道の分岐にあたり、鳥居前町として繁栄した。町名であるが村格扱いであった。享保18(1733)年諏訪藩一村限村地図によれば村高1,210石余り、戸数は58軒であった。1871(明治4)年の廃藩置県により、高島県、ついで筑摩県に編入される。1874(明治7)年10月、友之町は下諏訪町・下原村・久保村・武居村・富部村・高木村と合併して下諏訪村となった。支配は高島藩によっておこなわれた。
 史料の多くは江戸時代中期以降幕末に至るまでの友之町に関わる年貢割付帳、収納簿など帳簿類が多数を占める。また、宿場関係では宿継関係の伝馬割付が散見される。
 しかしこの文書群で一番特徴的なものは、諏訪湖へ流れ込む川筋に関わる瀬替えについての文書が少なからず残されていることである。とくにこの地域を貫流する戸川(砥川)は荒れ川で知られ、一端豪雨となると周辺に洪水に伴う土砂を押し流した。川底はたちまち高まり、氾濫が多発するという悪循環がもたらされた。友之町は災害と隣り合わせの村であった。そこで藩は川底が高くなると川筋を掘り替え、もとの河道を埋め戻し恒久的な免税(永引)とした。さらに永引地を開墾させ田畑として復活させるなどして生産活動を停滞させないよう努めた(起返り)。また河道は薬研堀であったため数年で河道が高くなるため、このような河道の掘り返し(干揚げ)、埋め戻しと起返りは頻繁に行われている。本文書群にはこうした起返りに関わる文書や川除人足関係の帳簿類も多く見られる。日常的な災害に対し、江戸時代の地域がどのように対処していたかが具体的に分かる史料である。
 また名主小口家の私文書(婚礼関係)も若干含まれていることは、この史料全体の来歴を知る上でも重要な要素といえる。
 なおこの史料群と関連する史料としては下諏訪宿奈良屋増沢家文書(3-18 整理中)がある。

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