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小県郡上田銀行関係資料

資料No(記号) 小県〔1〕/1-14
説明(解題) 本目録に収録した標記文書は、平成22年(2010年)に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうちの一部である。
これらの内訳は小県郡上田町1062番地に設立された私立銀行上田銀行の株主向けの考課状17冊と定款1冊で構成されている。考課状は事業年度ごとに提出する財産状態・営業内容などの報告書のことである。これらの資料の元所有者については不明であるが、追筆および貼紙による墨書銘によれば、水野助次郎の所有とみられる。
 当銀行は明治14年(1881年)に、上田町の富豪であった滝沢助右衛門らを中心に私立銀行として設立されている。役員構成は、、頭取滝澤、副頭取伊藤源太郎、取締役田中忠七、成沢金兵衛、長岡万平、支配人伊藤九右衛門の6名で構成されている。設立時の資本金は10万円であった。そのほか手代2名、小使1名の計9名の行員で構成されている。筆頭株主は滝澤で1054株2万6千425円の出資をおこなっている。その他の株主のほとんどが上田町の在住で、その他小県を中心に佐久、更埴地域、高井郡須坂町まで広範囲に点在する。県外では横浜生糸商人の茂木惣兵衛(茂木商店創業者、現在の横浜松坂屋の前身)が900株を所有していることがうかがえる。株主はいずれも生糸生産者組合(講)や仲買人などが中心であった。これらの史料の持主と思われる水野助次郎も上田町の在住で20株500円を出資している。
 近代製糸業の揺籃期には、上田銀行のような地域の養蚕業者の互助組合的な銀行が各地に乱立し、これらは次第に経営統合あるいは淘汰されていく。上田銀行は大正12年(1923年)に佐久の志賀銀行と合併し中信銀行と改称、その後信濃銀行を経て昭和18年(1943年)に八十二銀行に統合されていった。
 これらの史料は明治前半の地方私立銀行のあり方がまとまって分かる資料といえるだろう。

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