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尾崎家文書

資料No(記号) 水内〔9〕/9-26
説明(解題) 本目録に収録した尾崎家文書は、長野県立歴史館が平成18年(2006)に寄贈を受けた史料である。
 点数は218点で、このうち年代がわかるものは元亀元年(1570)から昭和36年(1961)までの文書83点、年代が不明の文書は135点ある。戦国期から近世及び近現代の文書である。
 本史料は尾崎家に伝来してきた文書である。尾崎家は、戦国期、水内郡尾崎(飯山市)を本拠地とする国人であり、家系譜によれば、出自は泉氏(信濃武士)とされるが、史実に基づくか不明である。泉(尾崎)氏が長尾(上杉)氏と関わりが深いことは、永禄4年(1561)川中島合戦で越後勢に加わっていることから推察できる(『信濃史料?「上杉年譜」』)。また、飯山城が泉氏の本拠地であったことは、『信濃史料?「上杉輝虎書状案」』からも確認でき、泉氏は飯山地域の中心的な国人であった。甲越合戦後は、飯山領は武田勝頼の支配下となり、尾崎氏は武田氏の軍役を負担している(『歴代古案』)。天正10年(1582)に武田氏滅亡により上杉景勝の配下となり、慶長3年(1598)の上杉家会津移封により、置賜郡北条郷宮沢城(山形県南陽市)に入った。尾崎氏の書き上げによると、慶長4年の春、尾崎同心衆すべて直江兼続に預けられたという(「米沢諸士書上」米沢市立図書館蔵)が、寛永18年(1641)、知行を回復し、与板組100石取となり、幕末には25石取りであった(『上杉家御年譜』二十三)。
 尾崎文書の特徴としては、会津移封以前の上杉家の家臣団の後世をうかがうことのできる「文禄三年定納員数目録下」が含まれていることである。原本は現存せず、須田右近が転写したものを尾崎氏が筆写したものである。また「慶長六年置賜郡分限帳」の写も含まれている。いずれも転写本のため、誤写や誤記があるため利用には注意が必要である。また、江戸時代の冊子類が複数ある。
 第2の特徴は、中世に関わる「足利義昭御内書」「武田勝頼書状」等の写が複数ある。かような文書が作成される尾崎家の事情、あるいは上杉家における藩史編纂事業とのかかわりについては後日明らかにしなければならない。
 第3に、江戸時代の断簡が多い。家系図や書籍の写や浄書などが多数含まれる。江戸時代には、何度か米沢藩各藩士の先祖書上などが提出されているが、そうした関わりのある史料も含まれているように考えられる(参照:「米沢藩今清水家文書について」『長野県立歴史館研究紀要』15、2009年)。
原則として寄贈された段階での配列順に目録を記載したが、過去に何度か整理をした形跡がみられる。

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