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矢代宿脇本陣柿崎家文書

資料No(記号) 更埴〔7〕/7-37
説明(解題) 本文書群は、平成28年(2016)に千曲市屋代新町柿崎丈夫氏より寄贈された史料で総点数415点である。
 矢代宿(千曲市屋代)は、北国往還(通称:北国街道)の宿場のひとつで戸倉宿と丹波島宿の間に位置した。宿の成立は、慶長11年(1611)に松平忠輝が矢代村へ「伝馬書」を出しており、その頃であると考えられる。宿場は、須々岐水神社附近を境として本町組(南側)、新町組(北側)に分かれていた。新町組には、松代へ向かう北国西街道(通称:谷街道)の分岐があった。本町と新町にはそれぞれ宿役人がおり、伝馬役を半月ごと交代で勤めていた。柿崎善兵衛家(市之丞・平九郎)は、脇本陣を勤めている。矢代宿はたびたび火災に遭い、享保三年(1698)五月の出火で本陣源左衛門家が類焼した。このため、脇本陣善兵衛家が本陣の代わりを勤めている。なお矢代宿柿崎氏は越後上杉家の家臣で米山城主柿崎景家の次男弥次郎が矢代の地に移り住んだことが後の本陣柿崎家のはじまりといわれる。脇本陣善兵衛家はその一族である。
 文書の年代は、幕末のものがほとんどであるが、一部天明年間の宿帳もある。最古は寛文6年(1666)石高帳の写、最近のものは大正期小作関係史料までを含む。
 宿場関係のものは21点である。大名関係では松平飛騨守、前田図書の宿割帳がみられるが、むしろ矢代新町の年貢割付帳が安政頃から複数見られるなど、貢租関係文書が多く含まれているのが文書群の特徴といえる。また維新期文書、地租改正関係文書も若干残されている。
 本陣源左衛門家文書「矢代宿本陣柿崎源左衛門家文書」(7−21)は当館で平成16年度に受贈、17年度に追加購入している。また一族で村役人も勤めた柿崎新九郎家の文書「埴科郡矢代村柿崎家文書」(7−18)も所蔵されている。

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