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水内郡北上野村文書

資料No(記号) 水内〔9〕/9-14
巻(資料点数)5
説明(解題)江戸時代の元和元年(1615)、上野村(現長野市大字若槻)は、南半分(現上野)が松代藩、北半分(現田中)が長沼藩の相給となった。その後、長沼藩領分は、旗本佐久間氏(赤沼氏)知行地(寛永19年・1642)→ 長沼藩領(天和2年・1682)→ 幕府領(元禄元年・1688)となった。松代領分は、同藩領水内郡竹生(たけぶ)村の枝村の一つに上野(うえの)村(現小川村上野)があり、また同藩行政区分の「川北通」に属していたので、「北上野村」と呼ばれ、幕府領分は「上野村」と称した。寛文4年(1664)、松代領北上野村の村高は、329石であった。
本目録の北上野村文書は、江戸時代同村の名主を務めた家(文書の出所・宛所から粟野原家と推定される)に伝来した文書群と考えられる。文書の作成年代は貞享3年(1686)から昭和8年(1943)に及んでいる。江戸時代のものは、年貢収納関係や村入用帳・勧化帳などが中心で、特筆すべきものには、山論関係絵図や文政後半〜天保初め(1827〜1833頃)の日記類がある。明治以降のものは、戸長をはじめ諸職への任命状や修業証書などのほか、私信類が中心である。私信のなかには、ブラジル移民として渡海した粟野原由平から兄直衛などに宛てた手紙が多い。また、粟野神社を描いた印刷物(明治34年・1901)などもある。
 北上野村は、明治4年(1871)松代県、同年11月からは長野県の所属となる。明治22年、近隣の6村等と合併し、若槻村となり、さらに昭和52年(1977)長野市と合併して、その一部となり現在に至る。

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