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埴科郡横尾村文書

資料No(記号) 更埴〔7〕/7-15
説明(解題)文書の作成年代は、後代の写も含めると慶安2年(1649)から昭和7年(1932)までの長期に及んでいるが、天保2年(1832)以降の江戸時代後期のものがほとんどである。
 埴科郡横尾村(現埴科郡坂城町南条)は、千曲川右岸、大峰(おおみね)山と太郎山を源とする谷(や)川がつくった扇状地上に立地した。天保14年(1843)の横尾村明細帳によると、村高284石余、家数89軒(2ヶ寺を含む)、人口387人(うち僧4人)で、下横尾・中横尾・入横尾の3つの集落からなっていた。そのうち中横尾と下横尾は松代領新地村域にあった。また、同村の名物には、元和年中(1615〜1624)、往海玄古が当地で栽培をはじめたと伝わる玄古たばこがあった。同村は、はじめ松代藩領、慶長15年(1610)越後高田藩領、元和2年(1716)松代藩領、同8年幕府領、寛永元年(1624)越後高田藩領、天和2年(1682)坂木藩領、元禄15年(1702)再び幕府領となり明治維新を迎えた。
横尾村は、明治元年(1868)伊那県、同3年中野県、同4年からは長野県の所属となる。同村は、同7年近隣の鼠宿村・新地村・金井村と合併し南条村の一部となる。その後、南条村は、昭和30年(1955)、同35年の合併をへて現坂城町の一部となり今日に至る。
本文書には若干、「大福覚帳」のような家政関係文書もあるが、ほとんどは宗門人別帳や村送り状などの戸籍関係書類、年貢関係書類、坂木宿助郷や人足なとの交通運輸関係書類といった村方文書である。雀威当番表や横尾村山元四ヶ村入会刈敷山鎌明・鎌留廻状などがある。

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