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更級郡岡田村寺沢家文書(上田藩領岡田村庄屋文書ほか)

資料No(記号) 更埴〔7〕/7-12
説明(解題)文書の作成年代は天正18年(1590)から昭和13年(1938)までの長期に及んでいる。なお、寺澤家の文書は『埴科更級地方誌』に相当数活用されている。更級郡岡田村(現長野市篠ノ井岡田)は、茶臼山の東麓にあり、天井川の岡田川・滝沢川に囲まれている。同村は、元和8年(1622)、近隣の7か村とともに上田藩仙石氏領の飛地(川中島1万石)となり、宝永3年(1706)の仙石氏にかわる松平氏の上田入封後も同様であった。享保2年から同15年の間は、一時幕府領となった。享保15年(1730)、時の藩主が弟に1万石のうち5000石を分知したが、岡田村は上田藩松平氏領の飛地として幕末に至る。岡田村は、明治2年上田藩、同4年上田県、同年11月からは長野県の所属となる。明治22年、小松原村と合併し岡田村となり、翌年共和村と改称する。以後合併により、篠ノ井町(のち篠ノ井市)、つぎに長野市の一部となる。現在は篠ノ井を冠して長野市の大字となっている。
 寺澤家は、岡田村の庄屋など村役人を長く務めた。また、小作もみや手作地の農産物の販売で得たお金などで、上田藩へ多額の献金をして「苗字帯刀、庄屋格」の格式を得たり、菩提寺小松原村光林寺などの神社仏閣への寄進をおこなったりした。また、明治時代には共和村の村長を務めたりもしている。
 村方文書としては、天保期〜弘化期の宗門帳や岡田村などの絵図面類がまとまっている。家政関係では、「万日記」や「通い帳」、「大福帳」など、農業経営や籾をはじめとした農産物の販売に関する帳面などが多数ある。また、7代直興が孫の9代直意のために記した「農業耕作万覚帳」(『日本農業全書』第66巻 農山漁村文化協会刊 所収)のような家訓書もある。神社仏閣への寄進・参詣や土地集積に関わるものも多い。また、親族・家族間の私信類も多く含まれる。

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